最後の選択 本当に家でよかった?? 訪問看護ステーションつばさ

 以前患者様の療養場所を決める際に、私はこのようなことを言われたことがあります。

 

「そりゃみんな家がいいけど、そうもいかない事情があるんだよ。あんたみたいに理想論ばかり言ってもしょうがないんだよ」と。

 

 人生の終末期においての療養場所を選択するとき、皆さんはどこを選択されるでしょうか。

 

「もちろん家がいい!!」

「でも、家族に迷惑をかけないだろうか…」

「きつくてたまらない時、病院みたいにすぐに対応してもらえるだろうか…」

「介護はできるだろうか…」

 

そのような不安を感じている方は多いと思います。

 

 先日、ある患者様の自宅での看取りをしました。 

 

 病状の進行に伴い、その方は、「もうよくならないのなら家に居たいが、家族のことを考えると無理だろう」と思いを口にされました。

ご家族は「本人の気持ちはわかるけど、家は不安。入院させてほしい…」と涙ながらに訴えられました。

 

 私は、最期の療養場所の選択を支援する上で大事なことは、「場所を決める」のではなく、主である患者・家族が「ここで最期を迎えると決定するまでのプロセスを支援することだと考えます。  

 このまま在宅ケアを続けることで、残された家族が「在宅ケアはきついだけだった」という思いをもつのではないか。。。

 

 そこで、私達医療者が、患者・家族がしっかり検討して意思決定できるような療養場所の情報を提示すること、不安に一つ一つ丁寧に対応していくことで、家族は「在宅で最期まで介護する」と決意されました。

その後も気持ちが揺れ動く場面が何度もありましたが、患者様の希望通り最期まで自宅で過ごすことができました。

 

のちに、ご家族より「いろいろ悩んだけど家でよかった」という言葉をいただき、本当にこれでいいのかと思い悩みながらケアをしていた私の心がスーッと軽くなりました。

 

 最期の療養場所の選択は、患者にとって最後の希望でもあると考えます。

だからこそ、そう簡単には結論は出せませんし、気持ちの揺れが生じます。

 

 どの選択をしても「これでよかった」と思ってもらうこと。

 

そう意思決定するまでの患者・家族の気持ちの揺れに寄り添いながら、支援していきたいと思います。

 

訪問看護ステーションつばさ 吉武 由紀美

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コメント: 3
  • #1

    訪問看護つばさ 小野幸代 (土曜日, 09 2月 2019 21:42)

    23年間訪問看護を続け、ご本人やご家族の気持ちの揺れにどれほどのお付き合いしてきただろうか?
    家で過ごす・・・いや、入院する・・
    1日の中でもコロコロと気持ちが変わる
    そんなご本人やご家族と共にベストな選択を一緒に考えることが大切ですが、ケア提供者が揺れる気持ちを支えられず、ひっくり返らないしなかやな心とタフな精神力が必要と思います。
    また、一時的な気持ちの表現で早々と結論を出さないことが重要と感じています。 そして、家族全体を俯瞰的に観れるスキルも必要でしょう。
    ご家族は「家では介護できない、入院させて欲しい」と何度か口に出されましたが、「最後は家で良かった」と気持ちが変化したプロセスを振り返ることで私達は成長に繋げられると確信しています。

  • #2

    斎藤さんだぞ (日曜日, 10 2月 2019 17:38)

    國分功一郎 東大の哲学学者ですが、中動態の世界-意志と責任の考古学という本を書いてます。能動的(する)や受動態(される)では言い表せない行為の在り方を示す態。中動態。家にいますか、入院しますか?はい、わかりました。入院ですね。 本人は能動的に入院するのでもないし、家族に入院させられる分けでもない。って吉武さんは感じるから、何だかスッキリしない。あなたが入院すると言ったんじゃない! となると自己責任と言う一部の日本人が良く口にする言葉が浮かんできます� 患者に決めさせる意思決定支援は、誰かがこうあるべきと決めるパターナリズムの反省から出てきている対人援助でしょうが、何か違う。 國分先生は (私はこうしたいのかも知れない)と自分の欲望をしっかりと形成させる支援 欲望形成支援と言う言い方を中動態の理論から推奨されています。 I will go. shouldでもないし、do wantでもwill be gone.でもない。そんな中動態の患者を支える。
    あなた一人が責任を負うのではないですよ っていう優しさに満ちた対人援助がホスピスマインドかも。

    ちょい、難しい?�

  • #3

    井上です (日曜日, 10 2月 2019 21:38)

    国分先生の内容のコメントがあったので少し、私からも簡単に看護に繋がればと思い目にした記事をお伝えします。中動態と言うものがあることを知ったのも国分先生の記事でした。
    私が目にした記事は、中動態を知ると生きやすくなると言う記事でした。
    國分先生は、私たちが当たり前だと思っている能動/受動の対立や意志という概念は,実は全く普遍的なものではないということ。中動態というキーワードがそのことへの気付きをもたらしてくれる。中動態の世界を知れば,皆さんが抱えている“もやもやした何か”が少し整理できるかもしれませんとコメントしてありました。精神看護のオープンダイアローグと中動態の世界も話題になっていたので、中動態の内容は私も注目しています。