在宅ホスピスを語る会in久留米

 

 

2月17日 日曜日

みなさんはどんな時間を過ごされましたか?

 

私は心温まる会に参加しました。

その会をご紹介します。

 

31歳で亡くなられたスキルス胃がんの女性のご主人と二人の子供さん(9歳と6歳男児)が登壇し、自宅での介護の様子や気持ちの変化を話されました。

ご主人や子供さん方は当時のことを思い出し、涙しながら話されましたが、この発表の仕方は、亡くなられた奥様の意思をご主人が形にされたものです。

 

訪問看護ステーションつばさの若いスタッフが、ご主人様と連絡を取り合いながらスライドショーを作りあげ、素晴らしい語りと映像を見ることができました。

この語る会は福岡県委託事業です。

(主催:ふくおか在宅ホスピスをすすめる会)

 

当日は120名以上の方が参加され、会場からは涙をすする音も聞こえ

『感動しました・・・

との声も寄せられていました。

私たち訪問看護師は、40歳未満の方で、介護保険のサービスを受けられない方々にも訪問看護を提供するのですが、40歳未満の方へも公的な介護サービスが受けられるよう久留米市へ声を届けています。

 

ようやく・・・

若年者在宅ターミナルケア支援に向けて、語る会の声が久留米市へ届きそうです!

 

 訪問看護ステーションつばさ

            小野幸代

 

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コメント: 11
  • #1

    すずのね井芹 (月曜日, 18 2月 2019 20:52)

    こんばんは。参加させて頂きました。
    大変為になるお話しでした。
    …がんは年齢関係なくかかる可能性のある病気と解っているのに何故、介護職として関わる事が出来ない現状なのでしょうか?
    今までの在宅ターミナルケアをしていながらこのお話を聞き心苦しくなる思いでした…。
    実現出来る事を願って関わる事が出来れば…と考えてます。

  • #2

    R.T (月曜日, 18 2月 2019 21:03)

    涙なみだでした。人前で話す事が苦手なご主人が「妻のことを話すことで今後の若い人達がもっと充実した支援サービスを受けられるように」と言う思いがヒシヒシと伝わってきたました。一緒に過ごせる幸せは介護や育児よりも上回り辛いとは思わなかったと言うご主人の奥様への深い愛を感じ、とても素敵なご家族だと思いました。以前療養のご利用者で誕生日会をした時に家では苦痛表情が多かったのに写真撮影のためにスタッフがカーラーを巻いて髪をセットしケーキを持ってもらうととても穏やかな優しい笑顔をしてくれてご家族もこんな表情久しぶりに見たと言われておられました。女性はいくつになってもどんな時でも女性なんですよね。おめかしすると自然に笑顔になります。綺麗にしたいというごく普通の願いは叶えてあげたい。亡くなる前日まで大好きなお風呂に入ることが出来て本当に良かったです。「もぅ天国に行ってもいいよね……」と言う言葉は同じ母親としてとても切なかったです。私はみささんのように納得して立派に生涯を終える事が出来るのだろうか……。患者を支える側として、またその患者を支える家族の支援、色々と考えさせられる内容でした。まだまだ日々精進が必要です!

  • #3

    訪問看護ステーションつばさ 高井良美由紀 (月曜日, 18 2月 2019 21:30)

    昨日は多くの方に参加していただき本当にありがとうございました。
    私にとっても感動の1日でした。
    今年の5月で1年が経ちますが、1日も忘れずに家族は生きてあります。当時の事を思い出す事はとても辛く心が苦しいことだったと思いますが、昨日のご主人の勇気と涙、小さな子供達が頑張って壇上に立ちママの事を思い出して泣いた涙。ひくひく言いながら泣いていた子供達。しかし…語る会が終わったらあんなに泣いていた子供達がスッキリした顔で笑って走って遊んでいました。
    あの涙は辛い涙だったかもしれませんが、泣く事、泣ける事でまた気持ちの整理ができたのかもしれません。
    子供達の走り回っている姿を見て我が子のようにホッとしました。
    親子が勇気を出して奥様の意思を形にしてくれたこと。大きな第一歩になったはずです。今後、この社会に評価されることを期待しています!
    昨日は彼女が大好きな晴れでした。
    空の上から「私の気持ちを伝えてくれてありがとう♡」…って。きっと笑顔だろうな。ご主人と息子達の成長に喜ばれているはずです!

  • #4

    井上です (月曜日, 18 2月 2019 23:24)

    先ずは、在宅ホスピス語る会in久留米の開催お疲れさまでした。
    今回も貴重な学びの場となりました。

    私の感想を少し述べさせていただきます。
    まず、ご家族の語り。貴重な体験を涙ながらにお話ししてくださり、とてもありがたく感じました。奥様が家に帰りたいという希望をご主人が素直に受け止め、不安がありながらも叶えて奥様を支えてきた過程をお話ししてくださったこと。小さい子供さんがおられても家に帰れた現実。子供さんなりに死を感じママを見送れたこと等、画像から見て悲しみがありながらもママは幸せだったのではないかという風に感じました。
    会場参加者の心を悲しいけど温かさを感じた時間だったのではないかと思います。

    秋山 正子著の「在宅ケアの不思議な力」の本の中に『「看取りの語り部」になって安心の地域と人生の再生』という一文があります。その内容は、「亡くなった人の人生を語り継ぐことで、死を前向きにとらえ、そうして自分の人生を再スタートできる。家族や親しい人を亡くした人たちは、地域の中で「看取りの語り部」になってくれることで、命の語り継ぎ、啓蒙活動を自然発生的にしてくれるボランティアとしての役割を担ってくれます。地域医療の重要性を皆に伝え、地域の再生につながります。」と書かれています。

    私は、ご家族にとって語る会で壇上に上がって120名以上の方の前で語るのは初めての出来事だったでしょうが、この本に書かれている通り、このご家族の体験談が地域を動かすくらいの力が込められているように感じました。
    そして、語ることでご主人、お子さんの人生を再スタートできるエネルギーになっていることを願っております。

    そして、在宅医療の重要性を語ってくれているご家族に応えるために、在宅に携わる医療・介護スタッフは日々学びの場を自ら求めて、成長する努力の姿勢・謙虚さを忘れずに、斎藤先生が話していた100%を望まず60%でも前進していきたいな…とつくづく感じました。(^_-)-☆

  • #5

    よしたけ (火曜日, 19 2月 2019 00:50)

    とてもいい学びとなりました。
    今回のテーマでもあるAYA世代のがん看護。
    いろんな悩みや「こうしたい」という希望もあり、充実した生活を送る中で、がんの告知、予後の話、残していく家族のこと、今まで積み上げてきた社会的地位など様々な苦悩や危機をみささんは抱えてあったと思います。
    それでも、いつも希望を持ち、家族のことを思い、最期まで生き切ったみささんは本当に立派だったと思います。
    発表を聞きながら、看護師としてこの世代のがん患者を支えていくためには今後どのような課題や働きかけが必要であるか少しは考えることができました。
    精神的支援、社会資源の活用、家族ケア。。。いつもやっている当たり前のケアのようですが、世代や発達段階が違うからこそケアの介入がとても難しいように感じます。
    課題多き、AYA世代。がんを患った、若い方たちが望む人生を送ることができるよう、私たちも地域社会に働きかけていかなければなりませんね

  • #6

    KM (火曜日, 19 2月 2019 09:37)

    姉の妹です。あれから一年。3月上旬に母から一本の電話があり、姉が胃がんだと伝えられました。頭は真っ白になり、母も混乱してました。すぐに実家に寄り母に詳しく話を聞いたけど泣いて泣いて話を聞ける状態じゃありませんでした。私も姉に電話出来ずにLINEでみんなで頑張ろ!と、激励をとばしました。次の日から入院と聞いていたため、母と私で病院まで。病院までの道中、なんとも言えない感情だったのを思い出します。病室に行き、正月ぶりに会う姉。痩せこけててビックリしたのを抑え普通に会話しました。気丈な姉。それ以上に旦那さんも気丈にしていました。それからほぼ毎日姉の病院まで1時間半かけ、通いました。面会時間の制限もあり、1時間くらいしか話せなかったけど、とにかく会いたい。顔が見たい。安心したい。その想いだけでした。治療が出来ないと主治医から告げられた翌日。仕事が休みだったので、朝早くから姉の病院へ。仲良く2人でベットに横になり話してました。でも、息子2人の話になると姉は泣き出しました。せめて2人が成人するまでは生きたかった。欲を言えば大好きな旦那さんと老後をのんびり過ごしたかった。私と姉と二人で泣きました。家に早く帰りたい。そう何度も言ってました。家族みんなで行った阿蘇旅行。兄弟姉妹全員で姉家族に負担かからないように計画しました。行けて良かったです。日に日に弱って行く姿を見るのも辛かったけど、亡くなるその日まで姉の涙は見ませんでした。亡くなる二日前に、姉が抱きしめさせてと言ってきました。まこ、大好き、ありがとう。そう言ってくれた顔を見ると優しい笑顔でした。

    姉が癌になって、若年層の癌になる確率や受けられる制度を目の当たりにしました。
    車椅子借りるのにも一苦労。全ての人が気軽に介護を受けれるようになれたらいいなと思います。姉は自分を症例に残されることをとても嬉しく誇りに話してました。この様な在宅医療をされる方が増えるとともに、居心地いい大好きな家で訪問医療看護を受けながら安心して最後を迎えることが出来ることを姉を通じて沢山の方に届いてもらえたらいいなと思います。

  • #7

    KK (火曜日, 19 2月 2019 20:32)

    40年ほど前になります。大学病院の重い扉の向こうで父は旅立ちました。39歳でした。小学生の私は病院にいたにも関わらず、最期の時は共有できませんでした。今思うとおそらく今回の女性と同じスキルス胃がんだったのでしょう。手術をすれば元気になると聞かされていました。入院から11日目、手術から4日目、ほとんど意識も戻らないままでした。あまりの突然のことに私は泣けませんでした。泣けない自分が不思議でした。今回、壇上の子どもさんたちの涙はつらかったけど、少しうらやましくも感じました。
    私もこんなお別れがしたかった!!
    今、高齢者介護に関わっていますが、原点はここなのかもしれません。
    残された家族への支援が当たり前になるような、医療や介護が広がっていくことを願います。そして私も支援者の一人として誠実に関わりたいと思います。
    貴重な機会を頂きありがとうございました。

  • #8

    YN (金曜日, 22 2月 2019 12:11)

    彼女と以前、一緒にパートで働いていた者です。
    昨夜彼女を思い出し、会いたくなって…LINEを開くと、こちらを目にしました!!
    ご主人とまだ幼い子供たちの姿と勇気に心が熱くなりました。そして、改めて彼女の愛の大きさを感じました。
    自分のことよりも周りの人たちの幸せを思い、動いてくれる。いつも笑顔で。。ほんとに天使だと思います。
    そんな彼女が天使になってまでも、このような働きかけを行なっているなんて……。きっと伝わると思います!!
    私が昨夜なんとなく思いを感じ、このサイトに繋がったように…彼女の思いはきっと伝わります。
    ご家族の悲しみは計り知れませんが、Mちゃんの存在は出会った人たちの心の中、そしてこの働きかけで助けらるであろう多くの方々の中にあり続けることと思います。

  • #9

    小野幸代 (土曜日, 23 2月 2019 22:39)

    コメントありがとうございます。
    彼女はみなさんの思い出と共に心の中で生き続けておられますね。
    そして・・・、これからも彼女と新たな方々との出会いがあり、勇気づけられることでしょう!

  • #10

    ママ友のKの母です。 (日曜日, 24 2月 2019 18:27)

    こんにちわ。私は小学三年生の男の子を持つママ友です。お家が同じアパートで一緒に毎朝登校させてもらってます。一年生のときは同級生のお家まで一緒に送って行ってました。往復20分くらいでしたが、その間、子どもたちのことや、学校の事、仕事の事など色々話しました。そのなかで「胃の調子が良くない、ストレスかなー。」と。今思えば、なんでちゃんと検査を勧めなかったんだろう、なんで違う病気かもしれないと疑わなかったのだろう、なんで軽くストレスで流してしまったんだろう… なんで、なんで… と悔やんでも悔やみきれません。 今こうして書いてる時にも涙がでます。絶対に良くなると信じてただけに、亡くなった、とご主人から知らせをうけたときはショックで一瞬言葉が出ませんでした。みさちゃんに会いにいくと、苦痛から解放されきれいにお化粧してもらってて、しばらくご家族と話してふとみさちゃんを見ると笑ってるように見えました。笑顔がよく似合うみさちゃん。天国でも笑顔絶やさず、ご主人、子どもさん達、ご家族の皆さんを見守ってくれてると思います。 彼女は本当に精一杯頑張ったのだと思います。人は生まれてくる前に3つのプレゼントを持って生まれてくるそうです。その一つは`試練´だそうで、みさちゃんは病気という試練を経て世の中に色々な働きかけをしてくれてるのかもしれないと思います。今の時代二人に一人が癌になるといわれています。介護も高齢者に限ったことではありません。世の中が弱者全てに優しくありますようにと願っています。心に空いた穴はまだぽっかり空いてますが、みさちゃんと来世でもママ友として出会いたいです。私もいずれ天国に行きます。またみさちゃんと再会したいです。

  • #11

    ママ友のKの母です。 (日曜日, 24 2月 2019 18:46)

    P.S. 私も日々何ができるのか考えながら生きていきたいと思います。訪問介護ステーションつばさの皆さん、ありがとうございました。