今から1年ほど前、平成30年の1月よりケアプランをたてさせていただいていたHさまのお話をさせていただこうと思います。
亡くなられる数日前にお会いしたのですが、実はその時、忘れられない一言を残されたのです・・・
私が担当させていただいた当初から、Hさまは抗癌治療を受けてありました。
お一人暮らしのHさま。毎週通院しながら、それでも家事はきちんとこなされ、前向きな生活を送られていました。
でも、現実は残酷でした。いくら癌の治療を受けても病状は改善せず、やがて、医師からこう告げられます。「もう、治療の効果はありません。これでやめましょう」と・・・
それでもHさまは前向きでした。いえ、今思えばご自分を鼓舞して、ひたすら前に進もうとされていたのかもしれません。毎日のように買い物に出かけたり、近くのレストランで美味しいものを食べたりされていました。そして、心掛けて健康食品等を摂られていました。でも、その反面、『いのちとは?死とは?』というような哲学的な本を読み漁ってもありました。
Hさまは最初は「できるだけ自宅に居たい」と望んでおられたので、私たち介護職も主治医の先生もそのつもりでした。でも、次第に病状が進行し、なかなか自分で動けなくなったとき、ご自分の最後の場所として、病院を選択されました。
ご本人がどこを選ばれるのか?その自己決定の支援をさせていただくのが、私たちの役割です。お一人暮らしのHさま。やはり、常時医療職がいるという環境が「安心できる」と思われたのでしょう。
私は、ご入院後数日してHさまを見舞いました。Hさまは黄疸は出ていたものの、痛みのコントロールは良好で、いつものように穏やかな表情をされていました。そして、いつものようにポツリポツリと、いろんなことを私に話してくださいました。人の命について・・・運命について・・・癌という病について・・・
そして、最後にこう言われたのです。「ひとはみんな死ぬ。ここは死ぬのに良い場所だ。笑ってサヨナラと言えたらいいね」と・・・
食道癌から肺と副腎と肝臓に転移し、あと僅かな命だと覚悟されていたHさま。最後にお会いした数日後に、やすらかに旅立って逝かれました。
「ここは死ぬのに良い場所だ」と病室を満足げに見回していたHさま。最後は、ご親族や主治医の先生方に、笑ってサヨナラと言われましたか?それを確認する術はないけれど、後程先生より、「とても穏やかな最後でしたよ」と連絡をいただきました。
自分の最後の居場所を、自分の意思で選択されたHさま。
「ここは死ぬのに良い場所だ」と言われていたHさま。
口には出すことができなかったとしても、きっとこころの中で笑って、「サヨナラ」と言われていたことだと思います。
御井町ケアプランサービス
管理者 川津敦子
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yuki satoh (木曜日, 21 3月 2019 09:30)
Hさんの言葉に、この詩を思い出しました。
これまでの在宅の生活で受け入れられた部分、病院で受け入れられた部分、いろんなものがあったような気がしました。
今日は死ぬのに一番いい日。(アメリカインディアンのことわざより)
「今日は死ぬのにとてもいい日だ」
生きているものすべてが、わたしと調和している
すべての声が、わたしと歌をうたっている
すべての美が、わたしの目の中で休もうとして来る
すべての悪い考えは、立ち去っていった
今日は死ぬのにとてもいい日だ
わたしの大地は、わたしを穏やかに取り囲んでいる
畑には、最後の鍬を入れてしまった
わたしの家は、笑い声に満ちている
家に子供たちが帰ってきた
うん。今日は死ぬのにとてもいい日だ
(プエブロ・インディアンと生活するナンシー・ウッドの詩より引用)
川津 敦子 (土曜日, 23 3月 2019 16:25)
yuki satohさん
ありがとうございます。
素敵な詩ですね。
人は受け入れることにより、穏やかな生活を手に入れるのでしょうね。