続編:私はがんね? 外出がもたらした意味

Sさんの外出ブログの続編です。

 

外出した次の日の訪問で、いつものようにSさんのケアをしていました。

 

するといきなりSさんが

「私は何のがんね?」と。

 

私は、Sさんの言葉の意味がピンと来ず、

「なぜそんなことを聞くのですか」

「どこか痛いところがあるのですか」

と、たずねてしまいました。

Sさんはがん患者ではありません。

 

すると、Sさんは首を横に振り

「昨日、久しぶりに家に帰ったけん。色々考えた」と。

 

ずっと念願だった自宅に何年かぶりに帰ったこと。

自宅には数年会ってなかった兄弟やお友達が待ってあったこと。

また、徐々に衰えてくる自分の身体状態。

そういろいろ考えたうえで

「自分は末期がんで、最期に家に帰ってきた」

と思われたようです。

 

ここ最近では傾眠で言葉が少なくなっているSさんですが、

外出時のSさんの状況を思い返し、

「あの時、Sさん自身が生きる意味、予後のこと。色々考えていたんだな」

と、考えさせられました。

Sさんにとっては、単なる『外出』ではなく、人生の最期を覚悟した大きな意味があったのだと感じました。

 

また、最期の時をどこで過ごしたいかという質問には

「ここ(施設)がいい。家に帰ると、いらんこと考える」と。

最期は家がいいはず・・・と考えていた私の考えはSさんにとっては余計なお世話だったようです。

今までの地域のつながり、先祖代々の家族の在り方、子供さんたちへの負担等、かんがえたうえでの「母であり、妻であり、Sさん」なりの意志決定だったのです。

 

患者さんたちが発する言葉は何気ない言葉のようにも聞こえますが、とても大きな意味があります。

外出がもたらした意味。

生きる意味。

人生の最期を覚悟した時。

Sさんなりの人生の終え方。

 

患者の言葉や思いに私達が立ち止まり「どういう意味があるのか」考え、ケアにつなげていく。

それが、患者本位のケアにつながるのではないかと思います。

 

訪問看護ステーションつばさ 吉武 由紀美

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コメント: 4
  • #1

    おのさちよ (日曜日, 07 4月 2019 21:40)

    Sさんの言葉に私も驚きました。
    言葉が少なくなっておられる状況でしたが、これほど考えておられることに感動してしまいました。

    同時に、私達は本人の思いをもっと聴き取る努力をしなければいけないなぁ・・・と改めて考えさせられました。

    人生会議(ACP)をする際、日常生活のケアの中での会話が、いかに重要かをSさんから教えて頂いたようです。

    人生会議は改めてするものではなく、ケアする者がそれまで、どんな会話をしてそれを記録に残し、家族も含めて情報をその時々で共有していく・・・それなしには「人生会議」とは言ってはいけないよ・・・と、Sさんの声が聞こえてきそうです。

    また、家への外出というイベントがあったからこそ、Sさんの思いが表出されたことを私達は忘れてはいけませんね。

    さあ、明日からやることが見えてきた!

  • #2

    斎藤 (日曜日, 07 4月 2019 23:16)

    いらんことを考えるから、家には帰らない。 と言うSさん。また、 点滴はしなくていいと言うSさんに、「でも息子さん夫婦は点滴して1日でも長生きして欲しいと思っておられます。」と伝えると、「ならば点滴する。」 との返事。 Sさんの前医からの情報提供書には、レビー小体型認知症の病名がついていました。我々はその活字の持つ力に流されて来たのでは?施設でほとんどしゃべらなくなったSさんに、病名と言う名札が付いて見える。
    寡黙な俳優が舞台の上では饒舌に語り始める。そんな事は日常的に経験しています。語るには語るべき場所があることも忘れてはならないと思いました。認知症独居老人における家と言う場所の力、そこに集う家族の持つ力が、いろんな作用をSさんの脳に及ぼしたのでしょうね。
    意思とか、思いとか言うのではなく、
    「感情」が浮かび上がるのだと思います。
    ある感情が、その人を「場」として現れてくる。これは東大の哲学者 國分先生の言葉です。
    上記のSさんの言葉も能動態でも受動態でもない中動態的な在り方、態度として表現されているように思います。
    自己決定支援❗️ といいつつ、多くの医療者が自分の思いの上で話しをしています。無意識に自分の思いの方向に誘導している。 ACPの難しい所です。
    語るべき場所で、みんなが語り合い、聞き合う機会を設けましょう。
    小野さんが言われるように、決して会議ではありませんね。�

  • #3

    井上です (水曜日, 10 4月 2019 00:00)

    「中動態と現象学」は、在宅看取り、緩和ケアにはこの学びが必要な場面が多くあるように思います。
    根拠はなく今は何となくそんな気がしています。
    私の場合だけかもしれませんが。どうかなぁ〜?

  • #4

    川津です (木曜日, 11 4月 2019 21:00)

    考えさせられる事例ですね。
    “人生会議”と言うけれど、皆が集まって開く“会議”ではなく、日々のコミュニケーションの中にこそ大切なものが隠されているのですね。
    この事例及びコメントを読ませていただき、ご本人様の気持ちをしっかりと聞き取っていかなければならないと改めて思いました。ACP・・・奥が深いです。しっかりと学習していこうと思います。