ありがとう、おばちゃん

ありがとう、おばちゃん

先月、鹿児島の叔母が亡くなりました。

 

43年前、両親が離婚したとき、(当時は)遠い遠い鹿児島から、母と私達姉妹を迎えに来てくれたのが叔母でした。ずっとずっと私たちを支えてくれた叔母でした。感謝しかありません。

鹿児島で三年間過ごした後、私たちはまた新天地へと越しました。

その後、叔母は脳梗塞を繰り返し、会うたびに少しずつ少しずつ障害は増えていき、認知症も進んでいきました。

それでも数年に一度会う度に、認知症もあるはずなのに「10歳のあなたを鹿児島に連れ帰った私を恨んでいるでしょう?」と詫び続けた叔母でした。恨んでいるはずなどないのに。

 

いつもいつも周りの人のことを一番に考える優しい優しい人でした。叔母は元看護師でした。

 

そんな叔母が、何度も何度も脳梗塞を起こし、最終的に「もう、これ以上は・・・」となったとき、医師である叔父は延命措置を選びました。

正直、今、ACPとか看取りとか学び、介護に携わっている私にとって「おじちゃん、おじちゃんは医者なのに・・・?」という気持ちでした。

 

でも、葬儀の時、集まった親族たちの表情を見て、「あぁ、みんなの気持ちを大事にするおばちゃんは、きっとこの皆の表情が見たくて延命措置の中、半年も頑張ったんだなぁ」と納得がいったのでした。

 

私のガチガチの価値観や決めつけは、叔母や叔母の家族にとって何の意味もないのです。

叔母の人生は、叔母の心や叔母が大切にしている人達が考えて決めるものなんだと実感しました。

60年前くらいの写真でしょうか。

母や叔母のこの笑顔。

 

ご利用者の皆様にもこのような時代があり、思い出があり、それぞれの今を生きておられるのでしょう。

たくさんのしがらみがあります。自分の気持ちだけが通るわけでもありません。全員が納得でき、笑顔になれる決断ができることばかりではないと思います。認知症によりしっかりとした意思表示ができないことも多くあると思います。私自身の思いとは違うご本人やご家族もたくさんあると思います。

 

そんな中での自己決定をどう感知し、受け止めることができるか、実行できるか、介護の世界に生きる者として考え続け、動いていきたいと思った時間でした。

 

おばちゃん、死んでなお、私にたくさん考えさせてくれてありがとね。学ぶきっかけをありがとう。

おばちゃんがいてくれたから、今の私があるんだよ。恨んだことなど一度もないよ。ありがとう。安心してね。

 

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