家族を看取って感じたこと

12月に大切な父、3月に大好きな祖母が他界しました。

 

父は10年ほど透析を受けていましたが、自転車で通院するほど元気でした。一昨年冬、風邪・転倒、4月に意識消失し入院しました。肺水腫、繰り返す熱発、院内感染と徐々に寝たきりに。何度も危険な状態になっては透析中止についても話し合い、「今日が最後になるかも」の思いで帰る日々もありました。

安定した際は介護施設に入所し、会話や笑い、思うように動かなくなった身体でも精一杯応えようとしてくれる、そんな姿を見るとこのまま元気になるかもと期待してみたり。父と過ごす時間がこんなに楽しいものかと感じてみたり。

一喜一憂とはこんなことなんだ、とこれほど感じたことはありませんでした。

入院と入所を繰り返し、12月、精一杯生きた父は旅立ちました。

 

祖母は94歳。好奇心旺盛で温泉と出かけることが大好き、これからも一緒に楽しんでいこうと思っていましたが、12月に体調を崩し入院。複数の持病に対して治療を受けましたが、これ以上治療に耐える体力は難しいとの判断が。祖母自身「早く家に帰りたい」、私たちも治療が無理なら自宅で過ごさせたい、と決めましたが、久留米市のようにスムーズには行かないもので・・・かかりつけ医は自宅での看取りを強く反対(過去に家族との関係に大変な思いをされたようで、しかし病状の理解と家族の介護体制を何度も伝えていくうちに理解して頂き、その後は最期まで親切に対応してくださいました)と介護サービスの段取りの悪さで2週間も伸びてしまい、医師は「持つかな」と。

1/31念願の自宅帰宅。やはり自宅の力は大きかった。食欲、眼力、ひ孫.親戚.友人の来訪に喜ぶ姿、気になることは口に出し手を借りながらも整理する姿も。生命力の回復と共に検査数値もいい感じに。やはりこのまま元気になるかも、と期待を持ちました。しかし食欲が落ちていくと共に徐々に悪化し、3月末、永い眠りにつきました。

 

仕事を通じて高齢者の病気、経過、そして終わりがあること、多少なりとも把握していたはず。自分の家族も同じで理解と予測されることを頭ではわかっていたはず。が、「もしかしたら・・」「奇跡がおきてほしい」と考えたことは確かです。家族の心がこんなにまで揺れ動くものなのか、と実感しました。

仕事の中で、今まで本人や家族に寄り添った介護をしてきたつもりなのに、どこまで解る事ができていただろうか?と考えさせられました。

家族といってもそれぞれの想いがあり、一致しているとは限りません。

あらためて、よりそう、ってどういうことなのでしょうか。

聴くばかりではない、希望をかなえることだけでもない。

認めること、専門職としてその方の力を引き出せる力、より良い方向を示すことができる力をもちたいと思う。

 

最後に、

上旗の皆様、約1年個人的な状況を理解して仕事をカバーしてくださったり、何より心を支えてくださったおかげで私なりにやりとげられました。 感謝しています。

 

銀の庵・上旗   田端三千代

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    銀の庵 上旗 古賀直子 (火曜日, 30 4月 2019 15:29)

    平成の時代ももうすぐ終わろうとしています。平成の時代に大切な方を二人見送られ悲しみを乗り越えられ仕事頑張っておられていたのですね。平成に幕、令和へと移ります。これからも上旗を盛り上げげて私達を引っ張っていって下さい。