その男性は癌に侵され、余命宣告を受けていた。
介護度は、7段階ある中で一番重度である要介護5。私が介護保険で、ケアマネジャーとしてケアプランを立てさせて頂いている方だ。末期癌だが症状は安定しているので、私は月に1度だけ、ご自宅を訪問し様子をうかがわせて頂いている。
その日の訪問の時も、いつもとお変わりなく、自室のベッドの上で一人過ごされていた。陽の当たる大きな窓の横で、外で畑仕事をしている妻の姿を見ながらいつもパズルを解いてあるその姿は、たとえ一人では何もできなくとも、自分らしい生き方を貫いてあることに間違いはないのだろうと感じられた。
「死んだら死んだとき。それまでの寿命だったということ」とサラリと言ってのける、彼岸にも似た落ち着きと、その反面、「家は良かね」とにっこりと微笑まれるその笑顔は、生も死をも乗り越えた、諦観にも似たものを、観る者に感じさせる。
そう言えば、グレーのふわふわとした髭をたくわえたその風貌は、どことなく仙人に近い。
もしかしたら人は魂が昇華されたら、このような姿になるのではないかとすら思う。
「お変わりなくて良かったです」との声掛けにも、にっこりと笑っていただく。
入院中に苦虫を噛みしめて怒っていた形相は、今はどこにもない。
穏やかな時間だけが流れている。
まるで、永遠の流れのようだ。
この方は、本当に時間に忘れ去られ、取り残されたのではないだろうかと錯覚する。
この大きな窓の横で、こうやって、100年後もパズルを解いているのではないかと、ふと感じるのだ。
ケアマネジャーとは、幸せな仕事だと思う。ご利用者の人生に自分の感情を寄り添わせることができる。そして、他者の感情をそのままに感じ取り、他者の喜怒哀楽を自らの事のように感じることが許される、ごくまれな職業なのだと思う。
この男性に残された時間は、そう長くはない。
しかし、人は最後には死ぬのではない。
人は最後まで生き抜くのだ。
最後まで、この穏やかな時間が続くことを心より祈りつつ、「また、来月伺いますね」そう言って、私はその家を後にした。
御井町ケアプランサービス 管理者 川津敦子
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